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「M Poetica」より「The Artist as Trickster」(2) [閑話休題]

あけましておめでとうございます m(u u)m
今年が皆さまにとってHAPPYな一年でありますように。。

さて、「M Poetica」より「The Artist as Trickster」、続きです。



前回記事よりつづけて「The Artist as Trickster」の章から引用)
そして忠実なファンの層に向けて --- 1993年の訴訟、2005年の裁判、度重なるWacko Jackoの連呼、そして長年の耐えがたいメディアの扱いの間、ずっと彼を支えてきたファンに向けては、「愛してる。本当に。覚えておいてね。心の底から本当に愛してるよ。」と伝えた。それは、彼の本心であった。メディアがマイケルを十字架に磔にしていたにも関わらず、ファン達はそれぞれ彼ら自身の目による「真実」を抱いてきたのだ。マイケルが「Privacy」で歌ったように、「そのカメラは/(真実を)知る人たちの心をコントロールすることはできない」。メディアは小児虐待の訴訟に関してシニカルな解釈を正しいものと受け止めており、マイケルのファン達は彼に夢中になるあまり目が眩んでいるのだ、と捉えていた。しかし真実はまったく逆だったのだろう。マイケルの作品を知る人は彼の人柄を理解し、事件について現実的な見方ができたのだ。一方、彼を犯罪者と信じ主張する人たちは、愚かにも自分たちが作り上げたゴーストを恐れていたに過ぎなかった。

すなわちジャクソンは、新しいファンを歓迎し、長年のファンに感謝し、そして…、おっと、「Freak Show」を忘れるところだった。しかし、それすらもマイケルは会見に盛り込んでいる。ちょっとやり過ぎのロックスターが羽目をはずして騒ぐのを見たことがあるだろう。しかしこれは違う。マイケルは叫んだり騒いだりして大袈裟にふるまうことはしない。それはただ、こちらが戸惑ってしまうぐらい、なんとも「奇妙」だったのだ --- なんとも魅力的な奇妙さだった。体はカチコチで、拳を突き上げ、ポーズを決め、「老いても挑戦的なロックスター」の役を身ぶりで演じ、そして突如くるっと向きを変え、拳を上げたまま会見場から歩き去ったのだ。それはちょうどグロテスクなものを見た時のように何だか当惑してしまうものの、抗いがたい魅力があった。目が離せないのだ。

つまりそこには奇怪な魅力があり、しかし同時に別の意図もはたらいていた。ジャクソンは絶対に、皆をまんまとだましたのだと私はにらんでいる。私は引っかけられたのだ。でも、引っかけられて良かったのだと思う。なぜなら、それを見て笑ってしまったのだから。バッグズ・バニーがエルマー・ファッドを混乱させたように、ジャクソンは世界中を混乱させていたのだ。私はO2アリーナの記者会見を5、6回は見ているが、今でも見ているとそわそわしてしまう。それはジャクソン自身がまごついて見えるからであり、最初の方は特にぎこちなく見えるからだ。しかし同時に、それを見るたびに声を出して笑ってしまうのだ。(本当はこのような状況で笑うべきではないのかもしれない。でも抑えることができない。彼は本当に個性的な人だった。文字どおり、彼のような人は他にいないのだ。彼がいなくなって私は悲しい。彼がいなくなった世界は、これまでより少しつまらなく、少し冷たく、少し堅苦しく、少し批判的になり、少し遊び心や希望、そして思いやりに欠け、溢れていた可能性がしぼんでしまったように思う。)

チケットの売り上げを見ると、ジャクソンは完璧に状況を読んでいたと言える。数日の間に100万枚のチケットを売り上げたことは、この状況では至難の業である。マーティンは、「彼の才能を証明するものだ」と言った。「1都市で特大アリーナ50回のショーを売り切るのはとにかく凄いことだ」。もちろんその通り --- ジャクソンは並外れた才能に溢れた人で、それこそが主な理由だっただろう。しかし彼は確実にチケットが売り切れるように魅力を付け加えた。私はマイケル・ジャクソンのファンなので、チケットが売れたのは、皆が彼の作品を愛し、本物のレジェンドを見たかったからだと推測する。しかし、奇怪なものが持つ魅力につられて買った人もいるだろう(何か大失敗が起こるかな?ステージに鼻が落ちるかな?)。それで良いのである。彼はわかっていた。彼は私たちのことを、私たち自身よりも良く知っていたのだ。彼は5歳の頃から私たちのことを観察していた。彼は「Freak Show」を求めてチケットを買う人がいようが、全くかまわないのだ。むしろ、それを当てにしていた。彼の目的はアリーナを埋め尽くすことなのだ。そこに入ってしまえば、彼のメッセージでノックアウトし、メロメロにすれば良いのだから。

O2の会見を見て皮肉を言う人もいると想像する。しかし私はその見方にまったく賛同できない。私はP.T. バーナムの本を読みこんできたが(主にジャクソンが彼をとても尊敬していたために)、次第にバーナム本人についてと、ジャクソンに反映されているバーナムの性質を、深く理解するようになった。バーナムとジャクソンは人の生の持つ全部の面に目を向け、容認しているのである。良いところも、悪いところも、変なところも、美しいところも、賢いところも、ばかげたところも。ジャクソンは人間の持つもっとも良い部分と悪い部分を小さな頃から見てきて、人生を通じてその視点を伸ばしてきたのだ。彼は、人が名声や金のためなら喜んでやること、どんなに強欲になれるか、そして互いに非情になれるか、ずっと見てきた。彼自身何度も何度も裏切られ、彼から利益を得ようとしたり、彼の名声を借りて自分の目的に利用したりする人々を見てきた。人間の善良な部分を尊ぶのはたやすい。しかしジャクソンはもっとも悪い部分も見てきたのだ。しかし彼はバーナムのように、仲間の人間たちのささいな欠点を前にして、ちょっと困って、でも面白がって見つめる姿勢をどういうわけか保つことができたのだ。

ジャクソンもバーナムも、人の弱点に対するリアリスティックで楽観的な見方と、少し変わったユーモアのセンスと、悪ふざけ好きな部分と、熱心な理想主義者であるところを、すべて並立させていた。南北戦争後のアメリカがかつての奴隷の権利に関して言い争っていたとき、コネチカット州の議員に選ばれたバーナムは情熱的なスピーチをしている。「人の魂はないがしろにしてはいけない。中国人にも、トルコ人、アラブ人にも、部族の人間の体も、魂が宿っている。それだって永遠の魂である!」。これらは、皮肉屋の人間から出てくる言葉ではない。このような瞬間のおかげで、私はジャクソンがなぜバーナムをあんなにも称賛していたか理解するようになった。私には、彼ら二人に共通して、情熱的な理想主義と、現実を面白がるリアリズムの共存が見える。

(引用終)------

まだまだ章の途中です。 (→ 続きは(3) へ)

ここではバーナムだけ出てきますが、著者はマイケルが称賛していた様々な人を研究して、彼の作品(および行動)を掘り下げています。
本書のテーマは、アートの考察というより、マイケルという人の戦略の考察と言ったほうが良いかもしれませんね。著者の見方は、マイケルの人生そのものがアート、というものですから。。

もう少しまとまった本書の感想は後で書きたいと思っています。


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タグ:マイケル
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accola

Meeさん、明けましておめでとうございます。早速の更新に感謝します☆私もいちいちウンウン!と納得しております…同感です♪MJは本当に頭の良い人。自分を80才くらいに感じると言ってましたが善し悪しの両極、人生の酸いも甘いも解り過ぎるくらい解っていたのでしょうね(泣)これはなかなかの良書?引き続き楽しみにしております。
by accola (2012-01-02 01:31) 

anko

あけまして おめでとうございます。
新年早々から 続きのUPをありがとうございま~す。

今年も マイペースで結構ですから、ブログ頑張ってください!

by anko (2012-01-02 20:55) 

Mee

accolaさん、ankoさん、あけましておめでとうございます。
続きupしました~!
読んでいると、とっても納得して、自分も同じことを考えていたような気分になって読み進みつつ… でも、私ひとりで考えていては絶対こういう理解には至らなかっただろうなあと思ったり。。
著者はマイケルと同年代で、少女時代に「Ben」に心打たれて以来のファンだそうです。どんな思いで徹底的にここまで考えて、本にしたためたのか、そこにも興味が沸きます。
by Mee (2012-01-08 00:27) 

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